

第一話 幻月
第二話 さらなる<偶然性>と見えていなかった<必然性>
第三話 ちょっぴり早い、クリスマスイブ ―深紅のバラ―
第四話 雪化粧
第五話 お帰りやす
第六話 生演奏
第七話 You Can Do Magic
第八話 Last Train
第九話 美しく流れるメロディライン
第十話 結婚するって本当ですか?
第十一話 Antonym『アントニム』
第十二話 魑魅魍魎
第十三話 俯瞰
第十四話 陶酔
第十五話 ダブル・・・
第十六話 Survive(生き抜く)
第十七話 絶体絶命
第十八話 Out Of Control & Take My Breath Awa
第十九話 I Cannot Die
第二十話 乱高下
第二十一話 STORIES
第二十二話 Brain Jack
第二十三話 人間らしさ…Into the Conflict
第二十四話 影
第二十五話 Lock On
第二十六話 黒子という名の主役
第二十七話 Stay Cool SpecialのBackyard
第二十八話 再び蘇る
第二十九話 風鈴
第三十話 喪失が教えてくれるもの
第三十一話 Don't Miss It
第三十二話 MERRY CHRISTMAS
第三十三話 年賀状じまい
第三十四話 余白
第三十五話 SAKURA
第三十六話 布石
第三十七話 獅子落とし
第三十八話 黄昏
第三十九話 物語
第四十話 言葉になる前の無意識の前に
毎日、青山骨董通りを往復して歩く。
風の向きや光の粒の変化に、できるだけ耳を澄ませるようにしている。
歩く人々の足取りにも、
それぞれの無意識が滲んでいる。
花を撮り、誰かに届けようとする人。
都会の真ん中で、ひと息つくために立ち止まる人。

言葉になるかならないか、その直前の光景が、
心の奥のほうで静かに息をしている。
最近、その無意識の層の中で、
今にも言葉として浮上しそうな情景が、
渦を巻くように集まってきている。
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彼らはまだ名を持たず、
薄い膜のように表層に漂っている。
ただ、こちらの気配をうかがうように、
出てくるタイミングを計っている。
彼らは静かに息を潜め、 無意識の表層に、薄い膜のように浮遊している。
けれど、私は全然気づいていないことも少なくない。 それらの情景は、まるでタイミングを計っているかのようだ。 今、飛び出すべきかどうかを考えながら。

始まりはいつも同じ。
クリニックのドアがチリン、チリンと鳴る。
私の診察室の外では、風がうねりを上げ
はっきりと聞き取れるほどの音を、自分の存在を示している。
控えめに優しくドアを開ける人が来た。
ドアの開け方で、誰が来たのかわかることがある。

すり足でかすかな音をたてる人。
緊張感で咳払いをする人。
一切の音を遮断し物静かに順番を待つ人。
診察室の中の言葉よりも、待合室での動きがその人の心が正確に投影していることがある。
私は、待合室で待つ姿勢を静かに眺めている。
ある人が診察室に入ってくる。
数か月ぶりだ。
とてもいい笑顔をしている。
光の角度で変わるような、微細な笑顔の揺らぎ。
それが哀しみを隠す笑顔なのか、 心をそのまま露呈しているのか、すぐには判断できない。
最初は、息を潜めていた。
少し間を置くと、話し始める。
どうやら、重い話ではなさそうだ。
私にも体調がある。
もし重い話なら、適切な言葉を返せる自信がない。
表層に浮かぶ程度の、軽いタッチなら、まったく問題ない。
精神科医が言う言葉ではない。
ここでは本音を出してはいけない。
それでも、できるだけ自然な会話をするようにしている。
私が構えた瞬間、クライアントも構えるからだ。
意識は伝播する。
不要な空気を漂わせてはいけない。
だが、それは理想であり、 実際の臨床はそう上手くはいかない。
営業スマイルをしても、勘の鋭い人には通用しない。
今日は湿度が高い。
窓の外では風が強く、
枝葉がざわめき、空気が揺れていた。
ふと視線を上げると、
ハクビシンが電線の上を歩いていた。

強風の中、
まるで空中回廊を渡る影のようだった。
六本木の裏道で見る姿とは違う、
別世界の生き物のような身のこなし。
彼女はふっと笑った。
「この風の中で、私もハクビシンみたいに歩けたら、
職場でもうまくやれるかもしれない。 あの子に勇気をもらいました。」
私は言った。
「不安定な電線の上でも、
彼は迷わずに進んでいる。
誰も見ていないようで、
見ている存在は必ずいる。」
昔、<天使の贈り物>という映画があった。
とても小さな物語。

人の姿をした天使が、
クリスマスの礼拝の日に
“気配としての奇跡”を起こす。
彼は、信じる力だけを残して去っていく。
今、目の前にいるのは天使ではない。
ただのハクビシンだ。
期待は淡く終わるかもしれない。
それでも、風の中で揺れる何かがあった。
彼女の口元に、ふっと笑みがこぼれた。
その瞬間、こんな表情を持っていたのかと、
私は少し驚かされた。
帰り際の彼女の背中は、風に触れたように、どこか軽やかだった。
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